セリフと地の文で漢字とひらがなを使い分けるのはアリなのか

「出来る」って、よく使う単語なんだけど、セリフにあると硬く感じるけど、普通になにかの動作が出来る、という場合はひらがなにすると柔らかすぎるし、どう扱ったらいいんだろう。
セリフの中ではひらがな。それ以外では漢字みたいに使い分けたらおかしいかな?

作法としてこういう使い分けが正しいのかどうかは知らないけれど、文字を絵の具のような道具として扱うならば、どういう使い分けをしてもいいのかなと思う。

「......」や「――」の前後に句読点を入れたり入れなかったりするので、間のとり方を、これらの記号で表現するために、句読点すら道具として扱っても間違いじゃないよなー。

ChatGPTに聞くと、以下の回答が出た。


ChatGPT:
とても良い質問です。「出来る」の表記は小説では特に悩ましいポイントですが、あなたのように文体を丁寧に考えている方にとっては、十分理にかなった使い分けができます。以下、詳しく整理してみましょう:

基本ルールと考え方
1. セリフ中では《ひらがな》が自然
たとえば:

「そんなこと、できるわけないだろ!」

セリフに《出来る》とあると、やや堅苦しく感じられます。日常会話にふさわしいのは、ひらがな表記です。

✴ 例外として:
「そんなことが出来る人間じゃない」など、強調や固い決意を持たせたいときは、セリフでも漢字表記が有効です。

2. 地の文では文体に合わせて《使い分け》が可能
たとえば、次のように考えます:

表記    適する場面
できる    会話文、柔らかい文体、自然な語り口
出来る    きっちりした説明、認識の明確さを示す、格調高い印象を持たせたいとき

あなたのケース:
セリフ→ひらがな
地の文→文体に合わせて柔らかくしたければひらがな、意味の明確さや重みを出したければ漢字

よくある懸念:混在させたら変じゃない?
→ まったく問題ありません。

小説では、「言葉のトーン」を意図的に使い分けるのがむしろ自然です。
読者も無意識のうちに、セリフと地の文で表現の違いを読み分けています。

 最後に:参考例
「本当にできるの?」
山村には、その一歩を踏み出すことは出来なかった。
魔法を使う。ただそれだけのことが、なぜこんなにも難しいのか。

このように、感情のトーンや場面の重さに応じて変えるのがベストです。